廿日市市議会 2020-12-03 令和2年第4回定例会(第3日目) 本文 開催日:2020年12月03日
大東亜戦争を太平洋戦争と呼ばせ、愛国心は悪だとレッテル貼りして、日本は侵略戦争をやった悪い国だと罪悪感を植え付け、日本が嫌いになるような教育をいまだに子どもたちに行っていると私は思っています。そこに中国、韓国が付け込んでいるなあって。だから、竹島を奪還できない。拉致被害者をいまだに取り返せない。それも自分の国を誇りに思えない教育をしているからだと思います。
大東亜戦争を太平洋戦争と呼ばせ、愛国心は悪だとレッテル貼りして、日本は侵略戦争をやった悪い国だと罪悪感を植え付け、日本が嫌いになるような教育をいまだに子どもたちに行っていると私は思っています。そこに中国、韓国が付け込んでいるなあって。だから、竹島を奪還できない。拉致被害者をいまだに取り返せない。それも自分の国を誇りに思えない教育をしているからだと思います。
1941年、昭和16年12月8日午前3時19分、現地時間午前7時49分、日本軍が、ハワイ・オアフ島、真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、3年6カ月に及ぶ大東亜戦争対米英戦、つまり、太平洋戦争が勃発しました。私たち社民党は、二度と戦争をしてはならないと誓いを立て、12月8日を不戦の日としております。
1941年、昭和16年12月8日午前3時19分、現地時間午前7時49分、日本軍が、ハワイ・オアフ島、真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、3年6カ月に及ぶ大東亜戦争対米英戦、つまり、太平洋戦争が勃発しました。私たち社民党は、二度と戦争をしてはならないと誓いを立て、12月8日を不戦の日としております。
そして、今何が起きているのかということでありますが、これを大東亜戦争におけるアジアの勝利であると解説されているのは、経済アナリストの藤原直哉氏であります。かつてアジアは欧米によって植民地化されていた歴史を持っています。明治維新もその流れの一つであります。
大東亜戦争は、欧米列強らによるASEANの植民地化を防ぐための解放戦争でありました。戦前の日本は、朝鮮、台湾、満州において、経済発展や教育の普及、インフラ整備のために、本国の多大な予算を投入して親身になって取り組み、当時の日本人は、みずからが食うや食わずの状態でありながら、欧米の植民地になるかもしれないこれらの国を全力を挙げてバックアップしたと言われています。
大東亜戦争中、輸送船は食料と一緒に桜のつぼみを乗せて出港したそうでございます。ちょうど南方に着いたごろに桜が咲きます。まず、食料を届けると、みんな喜んだそうです。桜を見た人はみんな泣いたそうです。桜を見ると、懐かしい思い出が出るのが日本人なんです。日本人と桜は切っても切れません。水源地では、出撃前に一升瓶を抱えて花見をした人もおられたと思います。
大東亜戦争中、輸送船は食料と一緒に桜のつぼみを乗せて出港したそうでございます。ちょうど南方に着いたごろに桜が咲きます。まず、食料を届けると、みんな喜んだそうです。桜を見た人はみんな泣いたそうです。桜を見ると、懐かしい思い出が出るのが日本人なんです。日本人と桜は切っても切れません。水源地では、出撃前に一升瓶を抱えて花見をした人もおられたと思います。
アジア・太平洋戦争を大東亜戦争と記述したり、大日本帝国憲法を高く評価し、日本国憲法は押しつけ憲法論と持論を展開している教科書で、一部の人たちにしか通じない偏った歴史観を教えるのではなく、世界に通じる歴史観を持ち、自分の頭で考え、世界平和のために積極的に行動できる若者を育てていくことこそが、私たちの責務と言えます。このことは間違いなく呉市民憲章の理念に通じるものと考えます。
アジア・太平洋戦争を大東亜戦争と記述したり、大日本帝国憲法を高く評価し、日本国憲法は押しつけ憲法論と持論を展開している教科書で、一部の人たちにしか通じない偏った歴史観を教えるのではなく、世界に通じる歴史観を持ち、自分の頭で考え、世界平和のために積極的に行動できる若者を育てていくことこそが、私たちの責務と言えます。このことは間違いなく呉市民憲章の理念に通じるものと考えます。
今の呉市の中学生に与えられた育鵬社の歴史教科書でありますが、戦争が正しかったと、太平洋戦争を大東亜戦争と記述し、自存自衛のためだったと。我が国の勝利は東南アジアやインドの人々に希望を与えたと。そうする一方、侵略したという記述はありません。こういう教科書で育った子どもがアジアの一員になれるかどうか、そこをその点だけ。
今の呉市の中学生に与えられた育鵬社の歴史教科書でありますが、戦争が正しかったと、太平洋戦争を大東亜戦争と記述し、自存自衛のためだったと。我が国の勝利は東南アジアやインドの人々に希望を与えたと。そうする一方、侵略したという記述はありません。こういう教科書で育った子どもがアジアの一員になれるかどうか、そこをその点だけ。
日本は、戦後69年を迎えておりますが、あの大東亜戦争は、物理的には負けましたが、精神面では負けていなかったと言われております。そんな中で、連合軍総司令官のマッカーサーの日本での大きな任務の一つが、日本が再び世界の脅威とならない国にすることでした。
日本を大きく動かしたのは大東亜戦争であります。あの戦争で三百数十万人のとうとい命を失いました。今なお哀悼の意を深くしているものです。 昭和20年3月10日が東京大空襲で、東京は焼け野原というより、黒いじゅうたんを敷き詰めたようでありました。
日本が大東亜戦争に敗れまして、占領軍による日本弱体化政策の一環として、日本のよき伝統である家族制度を破壊されたのであります。その結果、核家族が現在のように増加したのであります。この核家族の欠点を補い、高齢者を保護するために、平成12年にこの介護保険制度がつくられたのでございます。 御存じのごとく、この介護保険制度は、40歳以上の国民の支払う保険料と国、県、市の負担する税金で賄われております。
それでは,先日の12月8日は大東亜戦争,さきの大戦開戦70周年でありました。開戦と同時に,福山歩兵第41連隊はマレー作戦へ参加しシンガポールを占領,弟連隊の福山歩兵141連隊はフィリピン・ルソン島のリンガエン湾に上陸し,バターン半島に進攻しました。
我が国は昭和20年8月15日に大東亜戦争に敗れ、国家滅失の経験を持っております。過去、その6年有余の間、連合国の過酷な統治を受け、いまだに国家としての真の独立を達成してないことを忘れてはなりません。 国家とは人間の体と同様に1個の生命体でありまして、生命力のない物体ではありません。国家はその国を守る意思を持った国民がいて初めて維持存続することができるのであります。
我が国は、昭和20年に大東亜戦争に破れました。そしてあの廃墟から立ち上がり、復興させ、世界第2位の経済大国に発展させた原動力は、戦前の教育力であります。また、その教育を受けた人々の力で達成されましたことは、何人とも否定できないことであります。 そして平成に入り、戦前の教育を受けた人たちが第一線から退き、戦後教育を受けた人々が日本の指導者となりました。
一国会議員ならいざ知らず,戊辰戦争以降,日清,日露,大東亜戦争等による犠牲者246万余の英霊が眠る神社を参拝しないのは,国民の一人としてはおかしいと私は思います。町長の靖国神社参拝に対する考え方を伺います。 以上,1回目です。 ◎町長(牧野) 皆さんおはようございます。 ただいま片山議員から,日本国は大丈夫かという大きなテーマの質問を受けました。
日本が大東亜戦争、一般的には太平洋戦争と言われておりますが、この大東亜戦争に破れて、ことしで65年が経過をしようとしております。 一般的には昭和20年8月15日に大東亜戦争が終結したことになっておりますが、武器を使っての戦闘行為は8月15日に終わったのでありますが、連合国の戦争行為は、日本がサンフランシスコ講和条約を結んで独立する昭和27年4月28日まで続いたことを忘れてはなりません。
昭和の歴史において,特にさきの大戦,大東亜戦争に関する内容は重要であると考えますが,福山ならではの歴史や出来事についてしっかりと教えていただきたいと考えます。 例として,現在の緑町に陸軍歩兵第41連隊があったことや,大門町に海軍の水上機の基地があったことなどは余り知られておりません。小中学校においてしっかりと歴史の事実を教えるべきだと考えますが,いかがでしょうか。